「ほめたたえる者」  02−09−08  ルカ1:57〜80

 ザカリア夫婦に男の子が誕生した時、ザカリアは子供の誕生を
喜ぶだけでなく、神が本当に信実な方であることを知り、深い喜びに
満たされました。
 ザカリヤは、天使から子供の誕生を告げられた時、その言葉を
信じなかったことで、口が利けなくなっていました。
 それ以来、彼はずっと自分の不信仰を味わいながら過ごして来たの
です。それゆえ、神さまが自分の不信仰をお怒りになって、約束された
言葉を実現してくださらないかもしれない。自分の不信仰ゆえに、
あの約束は取り消しになったかもしれない、という不安に毎日襲われて
いたはずです。
 ところが、誕生した子供を見た時、ザカリアは、その子供が約束された
通りの子供であることを知りました。別の子供ではなく、天使がヨハネと
名づけるように言っていた子供だと確信しました。
 「この子の名はヨハネ」と板に記したのは、「ヨハネという名にする」と
いうのでなく、この子は天使が告げた通りの子供ですからまさしく
「ヨハネです」という意味です。

 「神さまは自分の不信仰にかかわらず、約束を実行してくださる
真実な方だ。」 そんな喜びが、ザカリアを捕らえていました。
 それゆえ、64節からの賛美を語れたのです。
神さまは、おっしゃったことを取り消すことなく実行してくださる。
 だから、預言の言葉も実行してくださる。イスラエルの不信仰にも
かかわらず、イスラエルの神でありつづけてくださる。
その神をほめたたえよ、と言うのです。

 信仰弱く、罪深い私たちは、しばしば口が利けない時のザカリアの
ような気持ちになることがあります。こんな自分には、救いの約束は、
あてはめてはもらえないかもしれない。
自分の救いは、もはや取り消されてしまったかもしれない。
そんな不安を抱える私たちに向かって、ザカリヤは「口が利けなくなる
ほどの不信仰にもかかわらず、神はおっしゃったことを実行して
くださった。
 
自分の不信仰より、約束を実行される神の真実に目を向けよう。」と
語りかけてくるのです。